「Never End The Game!」 第5章


「何だか、みんなバラバラになっちゃったみたいですね」
「ああっ……」
 美優に抱かれたまま、病院の庭を歩く。空は美しい晴天だ。出番の無いエキストラ達が私達の姿を見つけ、笑顔を向けてくれたり、頑張ってと声をかけてくれる。私と美優はそれを素直に返させなかった。彼らは法子の事情を知らないのだ。
「法子さん……後で怒った方がいいですよ」
「……そういうわけにもいかないだろう。泣き虫だからな、あいつは。それに、皆思っていた事だからな」
「……」
 ただ、誰も分からないから何も言わないだけなのだ。皆、実はその疑問を吐き出したくて仕方ない。私だって、もしもこの疑問の答えを知っている人がいるのなら、すぐに聞きたい。だから、法子だけが悪いとは言えない。
「美優は……どう思ってるんだ?」
「えっ?」
 突然の質問に、美優は驚いた顔になる。
「お前は、身の生まれを不幸だと思った事は無いのか?」
 美優の出番も決して少ないわけではないが、彩に比べるとやはり少ない方だ。そんな美優はどう思っているのか、聞きたかった。
 少し黙っていた美優だったが、やがて蒼い空を見上げて言った。
「不幸と思った事は無いですけど、でも、不思議だと思った事はあります。何で自分はここにいて、ゲームの人物なのか……。もし外の人間として生まれていたら、どんな人生だったのか……。そう思う時はあります」
「……それは私もだ。私は人の形すらしていない。なのに、考え、お前達と言葉を交わす事も出来る。……もし私が外の人間だったら、どうなっていたのだろう、と」
「……」
 それきり、言葉が続かなくなる。この事を考えれば、想像は際限が無くなってしまう。だが、現実は何一つ変わらない。私はこのゲームのマスターで、美優ばゲームのヒロインの一人。
「どっかでこう……ケリをつけるというか、自分で納得させましたけど」
 美優はギュッと私を強く抱き締めた。
 その時、ふと思った。
「美優……逆らってみたいと思わないか?」
「何にですか?」
「命令と使命に、だ」
「……サイレンが鳴っても演技をしないって事ですか? そんな事したって、何も変わらないじゃないですか」
 突拍子の無い事を言ったつもりだったが、美優は冷静に答えた。きっと、美優もそれを考えた事があったのだろう。
「変わらないかどうかは分からない。何もかも逆らい続けて、この世界で私達だけの生活をする事も出来なくはない。そう思わないか?」
「……そんな事したら、すぐにスクラップですよ」
「その“すぐ”までは、自由に生きてられるぞ」
「かもしれませんね」
 美優は私の言っている事を、タチの悪い冗談だと思っているようだ。私も冗談なのか本気なのか、自分でよく分からなかった。
 総監督である自分が何を言っているのだろう、と思う。でも、総監督だからこそ言うのかもしれない。嫌々ながらも誘惑のシーンをやってのけた法子。あんなシーンを見たら思ってしまう。
 そんな事しなくていい。自由にやれ、と。
 自分がこのゲームの総指揮者だから思うのかは分からない。でも、時たま思う事がある。それは、逆らい続けたらどうなるのか、という事だ。ゲームが始まっても参加せず、ひたすら自分達の好きな事をやり続ける。すると、一体どうなるのか……。
 きっと、すぐにこのディスクは壊れたと思われ、破棄されてしまうのだろう。
 でも、破壊されるその瞬間までは自由でいられる。生まれながら逆らう事の出来なかった運命から解放される。それもまた、一つの選択肢だ。実際に選択した事など勿論無いが、もしかしたらその方が幸せと思うかもしれない。そう、ただユーザー様の為だけに演技をするよりも……。
 それを人に話したのは初めてだったが、反応は想像していた通りだった。それも仕方のない事だろう。そんな選択肢、本来ならばあってはいけないのだから。
「マスター。楽しいと思いますか? それが」
「分からない。やってみた事など一度も無いからな」
「……何もやる事の無い自由より、何かをしなければいけない束縛の方が、私は幸せだと思います。だって、その方がやりがいがあるじゃないですか」
「どうして、何もやる事の無い自由にやりがいが無いと分かるんだ? 一度だって経験した事が無いのに」
「……何故でしょうね」
 美優ははぐらかし、苦笑した。私を抱く手に力が入る。美優に分かるはずがないのだ。自由に生きた事の無い美優に。だが、そう言いたくなる気持ちも理解出来る。恐いのだ。ユーザー様を、そして自分の胸の内にあった使命を裏切る事に。
 その時だった。聞いた事のあるサイレンが鳴った。またか、と思った。
 美優は立ち上がり、私をベンチに乗せた。
「マスター。それが私にとって幸福なのかそうでないのか、それは分かりません。でも、です。やっぱり私は、ユーザー様の前で演技をしていると、楽しいんです。だから、行ってきます」
 その時の美優の顔は、私なんかよりもずっと監督に向いている顔をしていた。


「あっ、マスター。どこ行ってたんですか! こっちは大変だったんですから!」
 開口一番、彩が私に向かって怒鳴った。
 サイレンが鳴ってから一時間程ばかり経ってから泰紀の病室に向かった。病室には泰紀と彩、美優と伊藤ちゃんの姿が見受けられた。
「……話はどこまで進んだんだ?」
 怒る彩を横目で見ながら、私は美優に言った。
「泰紀さんが彩さんに全てを打ち明けた所です。自分の今の気持ちとか、彩さんの両親の自殺の事。それに対して、彩は何も答えてません」
「そうか……大して進んでないんだな」
「アドリブとか入れて、わざと遅くしたんです。なにせ俺と彩の気持ちが分かる大事なシーンでしたから。マスターがいない時は、なるべく話を進めない方がいいと思って」
 泰紀が答える。
「そんな事、別にしなくてよかったんだぞ」
「そうですか? 気を効かせたと思ったんだけどな」
 私のわざとらしい言葉に、泰紀はわざとらしく返した。
 法子、丈一、真澄の姿は無かった。さっきのシーンでは三人の登場シーンは無い。もっとも、法子などが出たら大変な事になっていただろうが。
 病室の中の雰囲気は相変わらず殺伐としている。私もそうだが、皆どこかこの前のような覇気が無かった。……それも仕方無い事だろう。
「法子さん、見つかったんですか?」
 彩がベッドに腰掛け、複雑な顔をする。いつも陽気な彩だけに、こういう事は言いづらいのだろう。
「分からない。私も、探してないからな」
「いいんですか? 総監督なのに」
「だからこそ、そっとしておいてやるんだ」
「……そうっすか」
 彩は天井を見上げ、そう漏らした。そんな彩の頭を泰紀が優しく撫でる。
「こんな状態じゃ、スムーズにゲームなんて出来ないですよ」
「かもな」
「……何でさっきからそんな言葉ばっかりなんですか? ひょっとして、マスターも例の疑問を納得出来ないでいるんですか?」
「……」
 返す言葉が無かった。
 言葉が途切れると、そのまま会話は無くなり、また気まずい雰囲気になる。美優は目のやりばに困り、窓の外をぼんやりと見つめ、彩と泰紀はベッドに腰掛けたまま、互いに目を合わせる事も無く、押し黙ってしまう。
 堪え難い空気だ。しかし、そんな空気を作っている原因の一つは自分だ。そして、今は私はまだ、その空気を変えられないでいる。
「マスター」
 その時、カメラを手にしていた伊藤ちゃんが不意に口を開いた。最低限以上の事は決して喋らない伊藤がだ。
「何だ? 伊藤ちゃん」
「……シャットダウン、します?」
「……今、少しその事を考えてた。法子がこのまま見つからなければ、その可能性もあるからな」
「いざとなれば出来ますよ」
「ちょっ、ちょっと! 伊藤ちゃん。たまに口開けたと思えば何て事言うのよ! マスターまでそんな事言って。シャットダウンって、ゲームを機動させなくするシステムでしょ? それって非常事態にしか使っちゃいけないのよ!」
 淡々と進む私と伊藤ちゃんの会話に、彩が無理矢理入り込んでくる。
「今は、違うんですか?」
「うっ……一歩手前よ、手前!」
 必死に繕う彩。しかし、伊藤ちゃんは至って冷静だ。
 シャットダウンとは彩の言った通り、ユーザー様がディスクを入れても、ゲームを機動出来なくさせるシステムの事を言う。ユーザー様から見れば、ディスクが“壊れた”ように思われるのだ。
 シャットダウンが使用される場合は、本当に非常事態の場合の時だけだ。予期せぬ出来事でカメラが動かなくなってしまったり、役者達が出れなくなってしまった時などにのみ使う。
 自分の思いは別にして、法子が見つからなければ、今後のゲーム進行に大きな支障をきたすのは間違いない。今はまだいい。彩ルートにはもう、法子は登場しないのだから。だが、ユーザー様が二回目をプレイした時、そこに法子がいなくては、ゲームを進める事は出来ない。その事を考えて、シャットダウンも用意しておかなくてはいけない。
「準備だけはしておいた方がいいかもしれないな」
「マスター。本気で言ってます?」
 彩が眉をひそめる。
「今はまだいいかもしれない。だが、ユーザー様が二回目をした時、そこに法子がいなければ、ゲームは続行出来ない」
「……ったく! あのバカはどこ行ったのよ!」
 彩は床を蹴って、誰に向かってでも無く舌打ちをした。
 勿論使いたくはない。でも、万が一の時も考えておくのもまた監督の務めだ。……ゲームを放棄しようなどと考えている私など、監督失格かもしれないが。
 空気はますます淀んでいく。しかし、誰もその事を言おうとしない。
「泰紀さん。もしゲームが出来なくなったら、どうします?」
 窓から泰紀に目を向ける美優。その質問は私が美優にした質問に似ていた。泰紀は困った顔をして、頭をかく。
「どうするって言われてもなぁ。今までそんな事考えた事も無かったからな」
「一度も無いんですか? ゲームなんか嫌で、好きに生きてみたいって」
「……」
 顎に手を当て考え込む泰紀。私はそんな泰紀の足元に転がる。
「法子がこのままゲームに参加しなければ、そういう事もありえるんだ。一度もそういう事を考えた事、無いのか?」
「……無くはないですけど」
 私を見ずに、泰紀はぼんやりとした目線で答える。このゲームの主役の泰紀。そんな泰紀はどう思っているのか、知りたかった。
「ゲームをやらない方が、もしかしたら、我々は幸せな生活が送れるかもしれない」
「でも……そんな事続けてたら、いつかはスクラップにされますよ」
「そのいつかまでは、自由だ」
「……」
 美優に言ったような事を、泰紀にも言う。泰紀を説得しようとしているのか、それとも自分を説得させようとしているのか、自分でも分からない。でも、泰紀の返答次第では、私の意志も固まるかもしれない。
「……マスター」
 彩が私を呼ぶ。私はコロコロと床を転がって彩の傍に寄る。彩は俯いて、顔の表情がよく分からない。ただ、手がグッと強く握られていた。
「どうした?」
「……すいません」
「? ……何がだ?」
 その瞬間、彩が顔を上げた。眉は釣り上がり、歯が剥き出しにされた、恐ろしい顔だった。そして、右足を大きく振り上げた。私は嫌な予感がした。が、そう思った時には遅かった。
「んがぁ!」
 私は思いっきり蹴られ、病室内をピョンピョンと飛び跳ねた。壁に、泰紀に、伊藤ちゃんのカメラに。散々バウンドし、そして最後には美優の顔面に直撃した。
「きゃあ!」
 美優は態勢を崩して倒れる。その膝の上に私は転がる。
「なっ! 何をするんだ、彩!」
 私は彩を睨もうとする。が、そんな私を彩ががっしり掴み上げ、壁に押しつける。その彩の顔は鬼よりも恐かった。
「マスター……」
「なっ、何でしょうか?」
 思わず上ずった声になってしまうが、彩の顔に変化は無い。
「私ね、辛気臭い雰囲気って大嫌いなんです……。そのいつかまでは自由だ? アホか! んな事あるわけないじゃねえか!」
「……彩?」
「監督のあんたが何言ってんの? まだ自分の存在意義が分からない? ガキじゃねえんだぞ!」
 もう止まらない。彩は見栄も醜態もどうでもよく言いまくる。泰紀も美優もただ唖然としている。勿論、私もだ。
「私達を待ってる人がいる! 一人であろうともいるのよ! だったら、その人の為にやる! そんだけでしょうが! 自由だ? 意味の無い自由なんざいるかぁ!」
「……」
「美優……あんたも一発ぶん殴っていいかしら?」
「遠慮しておきます。私、ゲームが嫌だとは言った記憶、一度も無いですし」
 美優はどこか嬉しそうに答える。もしかして、美優の奴、こうなる事を予想して泰紀に話しかけたのだろうか。彩は凄味の効いた笑顔を浮かべる。
「よろしい。マスター、私、法子さん達を探してきますからね! その間にシャットダウンなんかしてみなさいよ。……バグにしてやるから」
 彩は私を伊藤ちゃんに向かって投げ付け、すぐに病室から出ていってしまった。
 残された私、泰紀、美優、伊藤ちゃんの四人は、しばらく黙っていた。嵐のような出来事に何も出来なかった。もっとも、美優と泰紀の顔は実に清々しい顔をしていた。
「……シャットダウン、やめときません?」
 伊藤ちゃんがポソリと呟く。
「……だな」
 そう答える私。そんな私の胸の内も、とても清々しくすっきりしていた。例えるなら、喉の奥に引っ掛かっていた魚の骨がとれたような、そんな気持ちだった。もっとも、喉なんてものは無いのだが。
 深く考える事など無かったのかもしれない。彩の言った通りだ。自分達の演技を見たがっている人がいる。ただ、それだけでいいのだ。
 自分は何の為に生まれたのか。それは、やってくれる人を満足させる為だ。それに逆らっても、きっと幸せな生活などは出来ない。
「私も法子さん、探してきます」
 美優が立ち上がる。
「俺も。何かじっとしていられなくなっちった。後、マスター」
 泰紀も立ち上がる。
「んっ?」
「まだ答えてなかったですね。俺、ゲームをやってる時が一番好きにやってる気がします。こんな返答、どうでしょう?」
「……お前らしい返答だ」
 こんな台詞以外、泰紀には似合わない。
「泰紀、美優。どっちでもいい。私も連れていってくれ。伊藤ちゃんは次のシーンの為にカメラの用意をしておいてくれ」
「うぃーす!」


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